2011年11月8日火曜日

Thanx.

11月7日。
それは忘れられない日。

L'Arcファンが毎年黙祷を捧げる日。

もう2年も経つんですね。



調度先週、彼らのライヴに2日連続で行ってきたとこだから、
余計に11月7日という日が響く。

彼らのステージは相変わらず隅々まで凝りに凝っていて素晴らしかった。
本当にミュージシャンの枠を越えてアーティストだなとつくづく思う。


そんな留まることを知らない彼らを、どんな風に眺めているのだろう。
やっぱり、俺ならあーするのにーとか、あれは凄いなとか、思いながら観てるのかな。


今のL'Arcは、本当に皆楽しそうで無邪気で、観てるとこっちも勝手に笑顔になる。

出来ることならば、彼にも一緒に笑っていて欲しかった。

けれど、それが叶わない今、
私達は彼らを愛し続ける、応援し続ける、それが彼への敬愛を示す術だと信じて。


本当に彼あっての今のL'Arcですから。
彼がいなかったら、出会ってなかったら、彼らはあんなステージ創り上げられなかったと思う。

ありがとう、コメットさん。

2011年8月21日日曜日

東雲。

8月だ。

あれを読まなければ。


「永遠の0」。





そんなわけで、今年も読了。

実家に居た去年までは図書館が近くにあったので、ふらふら出向き読んでいた。
けど、今年は文庫本を遂に手に入れた。(ブックオフでだけどw)
それほど、何故だか読まなきゃならない衝動に駆られる作品。

中2から社会科を極端に嫌い(ありがちだけど、単に担当教師が大嫌いだっただけ。)、歴史をしっかり学んでこなかった私にとって、これだけ戦争に関して事細かに書かれている小説は有り難い存在である。
フィクションだから、何処までが本当で何処までが作り話かは分からない。
けれど、戦後生まれ育った自分にとって何かを知るキッカケになることは間違いない。


そして、この作品に魅了されているのにはもう1つ、個人的な理由がある。


物語の設定が、全く他人事ではないからだ。


初めて作品を読んだ時には設定を知らないまま読み始めたので、驚きを隠せなかった。



私の母方の祖父は戦死している。

勿論、会ったことなど無い。
母の記憶の中にも彼は存在しない。

後に祖母が再婚した義祖父を、小2の時に亡くすまで、私は彼を血の繋がった祖父だと思っていた。

そして私には弟がいる。



…重なりすぎでしょうw


違うことは、
祖母が今でも健在であること。逆に義祖父が亡くなっていること。
祖母と義祖父は母が成人してからの結婚であること。
姉弟の年齢が私たちよりは少し上であること。
大きいことではこのくらいか。

だからどうしても、この小説の中の姉弟を自分達に重ねて読んでしまう。


この小説を読むまでは、自分の中に色々とモヤモヤがあった。

母は当然ながら1人っ子で、祖母も義祖父も名古屋の人で、なのに一番付き合いのある母方の親戚は高知県にいる。ずっと昔から高知に住んでいる。

小さい頃から大人になっても、誰か高知出身なの?と友人によく聞かれた。

説明するのが煩わしかった。
特に小2まで“祖父”が存在していたことを知る者達には。

私の母はなかなかな晩婚なので、私の同世代で祖父が戦死している者に、まだ出会ったことは無い。
それも嫌だった。
芋ずる式に母の年齢が割り出されてしまう。
べつに高齢出産なのは構わないが、それを“凄いね~”などと言われるのが嫌だった。



小説の終盤、姉弟は輝き出す。

嬉しかった。

私は、何もかもどうでも良くなった。良い意味で。

祖父が戦死していることも、義祖父がいることも、母が高齢なことも、今では普通に話す。
こういう家庭もあるんだな、って自分達のことをきちんと捉えられるようになった。


この小説に感謝したい。


そして祖父を思う。

実は私の祖父はどう戦死したのか判明していない。
そればかりか、正確な戦死の報告は受けていない。
戻ってこなかったので戦死扱いになっている。


祖父も、何処かで東雲を見ただろうか。

日本を、美しいと思えていただろうか。

2011年5月3日火曜日

美味しかったよ。

近所のスーパーに買出しに行く。

生鮮食品売り場。

理由も書かれず大幅に値下げ(50%以上)されている物がある。
よく見ると、産地のところに“商品に表示あり”と書かれている。

まぁ、ここまででだいたい感づく。

が、商品を手にとってみても表示が見つからない。

裏返してみる。

パッと見、見つからない。


隅のほうに。
とてもとても遠慮がちな小さなシール。


“茨城県産”の文字。



ふと、顔を上げると、“頑張ろう日本”と書かれた大きなポップ。


無性に腹が立つ。

一体どれ程の気持ちが籠ったポップなんだろうか。
気持ちが微塵も伝わってこない。

安くしてるので是非買ってください、っていう売り方ならまだ分かる。

でもよくよく見ないと値下げ理由が分からない。
産地を表記したシールの貼った面を見事に底にして並べてある。
それも小さな小さな文字が書かれた小さな小さなシール。

明らかに、バレたら売れない、何とか隠して売ろう、という姿勢が見える。


けれど、本当にそうでもしないと売れないのかもしれない。
スーパーだって商売だ。
なんとしてでも売りたい気持ちは分からなくもない。


そんな今の世の中を思うと、今度は言いようのない哀しみが込み上げてくる。


曖昧な対応。ハッキリしない基準値。
不安を煽る報道。

あと少しだけでも、明確になれば。

そう思うけれど、考えてみると難しい。

レントゲンやらCTやらと比較しても、それらは24時間365日続くものではない。
前例がなければ、どんなに考えてもそれは机上のことでしかない。
リスクを研究するにしても、コホートもケースコントロールも難しいだろう。


ぶつけようの無い怒りと、やりきれない哀しさと、
くちゃくちゃな思いが混ざり合い、
その可哀相な白菜を、私は買ってきて食べた。

2011年4月17日日曜日

喜。

嬉し事。

ある日の事。いつも通り患者さんの名前を呼ぶ。
すると本人以外に反応する患者さんが。友人らしい。
私の目の前でお喋りを始めるオッサン2人組w

患者②「元気~?元気じゃねーか、こんなトコおるんだもんなぁ」
患者①「元気だよー。俺風邪とかじゃねーもん。皮膚科~。」
②「なんだー。さては美人薬剤師に相手してもらいに来たな?」
①「何言ってんだよー。俺はいつもコイツに虐められてんだよ!怖いからこの名前(私の本名)は覚えとけよ~。」
②「マジか。覚えとくわ!要注意要注意。」
私「ちょっと①さん!!そんな事は言いふらさなくて良いの。」
①「あ、そっか。秘密だったか。ごめんごめん。じゃ、秘密ってことでw」
私「そそそwてか、私だって値良かったら褒めますよ!」(いつもは皮膚科じゃない。)
①「そーだよなー世話になります…」

…こんな和やかな会話が繰り広げられると幸せな気分になる。

地域医療、地域医療っていうけど、私は薬局こそ地域医療の極みだと思う。
病院でももちろん可能だと思う。
でも病院薬剤師が関与する患者は主に入院患者である。外来が院外処方ならなおさら。
入院というのは、それが必要だからこそそうなるのであるが、患者の普段の生活を取り上げて治療するものである。
それに比べ、調剤薬局薬剤師は関与が浅いと思われがちだけれど、患者の普段の生活を見ることが出来る。
普段の生活の中でどう改善していくべきか考える、それこそが最も必要なものだと私は思う。
入院して一時的に治っても、元の生活に問題があるのならば、それは意味を持たない。

そういった意味で患者の「普段」「普通」に関与したいので、患者がラフに話しかけてくれたり、冗談を言ってくれたりするのが何よりも嬉しいのだ。

そして会話から広がる無限の世界。

今日も仕事をしていて楽しみを感じる。
そして勉強すべきことがまだまだ沢山あると感じる。

2011年3月26日土曜日

あっちゃん。

Everything is difficult, but everything is possible.


Jリーグ公式サイトを通して発表したTEAM AS ONE監督就任に対するピクシーのコメント。その最後に書かれていた一文。

…かっこいい。
特段捻りのある言葉でもないけど。
かっこいい。



タイトルはCoccoの愛称。
最近のファンはコッキーと呼ぶ人も多いみたいだけど、私には違和感が。
あっちゃんが良い。

で、昨日のMステ。
素晴らしかった。
私はそう思う。

特に興味の無い人にとっては、待機時間中ずっと俯いてて寝てるように見えた事のほうが面白かったみたいだけど。
そしてその映像がTVに映ったことで不快に思った人がいるのは当然だとも思うけれど。

彼女が、TVという、メディアに登場する。それも生放送で。

それだけで、長くファンである人達にはCoccoが物凄い覚悟を決めたんだと感じるだろう。


受け取る側には、結果として、不快な思いをさせたかもしれない。

でも、伝わったものも沢山沢山あったと思う。


沖縄の海を愛してやまない人。
その海が、沢山の人間の命を奪った。
思うに、彼女は自分が殺した、ってくらい背負っている気がする。

以前、原発のある青森県六ヶ所村も訪れている。
自分の愛する沖縄の基地問題と重ねて、深く語っていた。
何も出来ず、共存していくしかない、心の中で葛藤し続け、また大きなものを背負いこむ。

普通なら、そんなの仕方ないじゃん。って思いそうなことも、彼女は本当に自分の事として受け止めて、そして抱え込み、悩み続ける。

私が感じる彼女は、そんな人間だ。


苦手なTVに出てまでも、伝えたいことが、とてもとても大きな何かが、彼女の心にあったんだと思う。

血の気が引いていた。
身体が震えていた。
マイクを持つ手はもっと震えていた。

それでも、彼女は唄いきった。
全身全霊かけて。
それこそ、唄い終わったら倒れて死ぬんじゃないかってくらい。



私はね、またあなたに勇気をもらったよ。


Everything is difficult, but everything is possible.



追記。

翌日、Coccoのblogを読んでまた涙が溢れた。
彼女の選ぶ言葉って本当に素敵だ。
本気で語っているのがよく伝わる。
職業柄、言葉にはそうとうの気を遣うが、いつも自分の選んだ言葉で足りただろうかと不安になる。
足りることなんて無いのかもしれないけれど。

彼女には、言葉の選び方も教えてもらっている。

3/26付けの「from Cocco」是非読んでほしい。
今、TVなどで毎日見聞きする在り来たりな言葉とは明らかに違う、彼女の思いが詰まった、彼女自身の言葉で綴られた文。
http://www.cocco.co.jp/blog/

2011年3月21日月曜日

芯。真。心。

いろいろ考える。

震災。

津波。

放射能。

株価。

経済。

その中で生きる自分。

日本人としての自分。

薬剤師としての自分。


単純に1人の人間としての自分。



私は、やっぱり“良い人”でいたいのだろう。

壁をつくる。
そんな自分のせいで、自分にストレスが溜まる。
また行き場の無い思いが降り積もる。

浄化する術を見つけなくては。
その場では、かっこ悪くても良いじゃないと思える場をつくり出さねば。

今まで存在していたその場を大切にしていくのか、
新たにそうした場を掴み取りにいくのか。

どうしたら良いのか、今の私にはまだ分からない。


分からなくて良いんじゃないか。

そう思えた昨日の夜。

まだまだ26歳。

2011年3月13日日曜日

崩壊。

少しばかり突っ走りすぎた。

表面的にはまだ何も変化してないけれど、ここ2・3週間、気を張りすぎた。

相次ぐ常連患者との死別。
もともと精神病を持つ友人からの「これから人生終わらせに行く」との電話。(なんとか食い止めた。)
家探し。それに伴う母のグダグダな反論。
友人結婚式に向けて、大人数とのメールやりとり。
スポーツファーマシスト知識到達確認試験に向けての勉強。
部分院外処方だった精神科からの突然の完全院外処方連絡。
花粉症、風邪の全盛期。
そして東北関東大地震。

様々なことが精神的負担になっていた上に、勉強や作業などやらなければならないことが沢山あって日々の睡眠時間は多くて4時間程度。
睡眠命な私には少なすぎる。

そこに地震が。。。

新年会で“私、今仙台なんですよ~。遊びに来てくれたらいつでも泊めますよ♪”と言った、あの笑顔が脳裏を過ぎる。
高校・大学を通しての後輩で、大学時代は1年間ペアを組んでいた彼女。

年に一度、練習試合をしていた他大学のライバルの顔も過ぎる。
静岡在住の彼女の実家は宮城県名取市。

母の親友で家族ぐるみで交流のある彼女も仙台市宮城野区在住。

そして、仙台・松島は昨年訪れていて、とてもとても大切な想い出の詰まった場所。

沢山の思いが重なり、目が冴えきり、3月11日は殆ど寝れなかった。

翌日、仕事を終えて帰宅し、ご飯を食べ終えたところで、緊張の糸が遂に切れた。
とにかく吐き続け、飲み物さえ口に出来ない。
他に全く症状が無いので、恐らく自律神経調節が利かなくなったのだと思う。

その証拠に、心を許せる人に話を聞いてもらったら、かなり楽になった。
その後、タガが外れたように12時間近く寝続けて(時々目覚ましたりしてたけど。)30時間ぶりくらいにご飯も食べれた。

3月9日のメールは本当に嬉しかった。
こんな時に彼が傍にいてくれたら、とやはり願ってしまう自分がいる。
情けない。。

またこんなことになる前に、もう少し自分自身と対話しながら暮らさねば。
がむしゃらに気張ることが、睡眠を削って頑張ることが、一概に良いこととは言えない。
人にはそれぞれのペースというものがある。

昔から私は睡眠を削ったりしてまで頑張るタイプではない。
短期集中型。
ただしその時の集中力はそうとう自信がある。

忘れていた。

少しだけ、あと少しだけ、自分を大切にしてあげよう。


たった今、仙台在住の後輩の無事が確認された。

私も色んなことに気付いて冷静さが戻った。

私は、もう、大丈夫。

けど、震災のことは引き続き心配でならない。
少しでも、少しでも、被害が食い留まりますように。

2011年3月7日月曜日

3月6日。Wヤマダに感謝。

なんとも表現し難い、素敵な1日でした。


清々しい気持ちで名鉄最寄駅に降り立ち、雨降りだったけど気分が良くて歩いて帰ることに。

さらに気分で近所のTSUTAYAに寄り道して装苑を購入。
ファッション誌買ったのなんて一体何年ぶりだろうか。


凝り固まっていた思考が解れ出す。



逃がさない。
逃げない。

2011年3月5日土曜日

明日は3月6日。

明日の大阪日帰り旅行。
これまたいつも通り、テキトーにしか計画していない。
とりあえず、臨月の友人を拝められればそれで良いw

けれど、3月6日はこれからのKEYになる日。

明日のプチお出かけを皮切りに、色々と動き出す。

有り難い事に、沢山の友人達に声をかけてもらっている。
仕事の日も、休みの日も、笑って過ごせるくらいには予定が埋まってきた。


心の中も良い流れが出来始めている。


今までは、変わりたいと願いながらも、変えたくない、変化を起こすことが怖い、という気持ちも確かに存在していた。
守りたい何かが存在していた。

けれど、今は、思いっきり変化を狙って行動しても良いと思う。
“自分”というものを、叩き割っても良いと思う。
むしろ、叩き割ってやりたい!ぶち壊してやる!…くらいな感じw

昨日、動き出すために必要な条件は揃った。

どこまでやれるかは分からない。
だからこそ、やれるだけやってやろうじゃん。


明日、3月6日は大切な日。

待ってろ、新生活。
待ってろ、新たな自分。

2011年2月27日日曜日

形じゃない。大事なのは。

別れを選んでから5日。

案外普通に暮らしている。
もっと食べられなくなったり、過呼吸出たり、色々起きるかなと思ってたけど、そうでもない。
(夢見だけは本当にどうにも悪くて…これだけは困っているが。)

けれど、それは決して相手のことがどうでも良いからではない。

むしろ、今でもこれ以上ないくらいに大切な存在。
そして、それなりに普通なのは、しっかり話して、受け入れた結果だからだろう。


今まで本当に色々な事があった。付き合っている間もその前も。
2人で積み重ねてきた歴史は重くて、大切で、そして紛れもない事実。

いっぱいいっぱい支えてもらってきた。助けてもらってきた。
私も私なりに、彼のことを思って行動してきた。

不安な気持ちにもなった。沢山涙も流した。
きっと私も沢山傷つけた。心無いこともした。

良くも悪くも、人間のエゴとエゴがぶつかり合うのが恋愛。


普段、あまり人を頼りにするのを好まない私を、唯一在りのまま知っている人と言っても過言ではない彼。

無くしたくない。
無くしたくない。絶対に。

その思いが無理に関係を続けさせようと私の心を支配した。


けれど、5日前のあの日、私は彼に痛いほど大切にされていることを実感した。
今更だけど。遅すぎるけれど。
やっとやっとやっと、不安が消えた。
もしかしたら勘違いかもしれないけれど。
それでも、大切にされているという実感が、少なからず自信に繋がった。
それで離れる覚悟ができた。皮肉なことに。


だから、昔も今もこれからも、大切な存在。

願わくば、彼にとっても私がそういう存在でありますように。


間違いなく出会って良かった人であり、出会うべくして出会った人。

それくらい思える人が1人くらい居ても良いでしょ。


この気持ち、彼に伝わってるのかな。
伝わってて欲しいな。

2011年2月10日木曜日

負担割合の変わる意味。

今日の午前業務、立て続けに2人、負担額が3割→1割に変更されている後期高齢者扱いの女性が来局した。
2人とも後期高齢になる前は被扶養者扱いだった方。

確認のため保険証を借りにいく過程で、頭の中を過ぎるものがある。

2人とも、夫が数ヶ月前から体調を崩している。
これは……

2人とも予感は的中だった。
こんな予感は当たらなくても結構なのに。

夫は2人ともうちの常連中の常連。
陽気でユーモアのある方だったAさん。
話し出したら止まらず1時間22分喋り続けた大記録を持ってたSさん。

2人とも不死身なんじゃなかろうかと思う人だった。

それでも皆、人間。
その時は来る。

残された妻2人は丁寧に、
「本当によくしてもらって…主人がお世話になりました。」
と頭を深々と下げていった。

仕事柄、そう珍しいことではない。
寧ろ日常茶飯事。

それでも、慣れるものではない。慣れてはいけない。


弱っていく姿を目の当たりにし、そして最期の時が来たことを告げられるのは、本当に苦しい。

でも、その後、残された方々が徐々に元気を取り戻し、再び生き生きした姿を見せてくれる嬉しさが待っている。

年単位で時が過ぎ、ふいに思い出話を懐かしそうにし出すと、温かい気持ちになる。

そして何十年も人生の先輩である彼ら彼女らが、真の強さを持っていることに気付かされる。


私にもいつかそんな強さを持てる日が来るのだろうか。

これからまだまだまだまだ、いろんなことに立ち向かわなければならない。
でも、その先に、彼らのような凛とした強さが待っているのならば、捨てたもんじゃない。

2011年1月29日土曜日

断髪。

昨日、バッサリ前髪を切った。

本当に思いつきだけで、15cmくらい。自分でハサミを入れた。
月1で美容院に通うような女性の方々には信じ難い行為かもしれない。

だけど、私はいつも突然、強い衝動に駆られて切りたくなる。
今すぐっ!!!って。

さすがに全体に短くするときには美容院に行くが、前髪だけならいつも自分で切る。
それでとくに後悔もしない。

“切る”という行為に満足するからだ。


“髪を切る=失恋”なんて言われる時代があったが、ちょっと極端過ぎとはいえ、そこに含まれる意味合いとしては間違いではないと思う。
やはり何か迷いがあったり、切り捨てたいものがあったりする時に起きやすい感情なのではないか。
少なくとも、私の場合はそうである。


では、今の私は一体何に迷っているのか。

全てだ。
分からないことだらけ。


“周りの人間が、新しいことに踏み出したり結婚を機に転職したり、変化を求めて動き出すと、自分だけが取り残されて止まっているようで、これで良いのかという強い不安感に襲われる”
そんなようなことを先月号だか先々月号だかのOggiに中野美奈子が書いていた。

普段、女子アナという言葉を聞いただけでも軽い嫌悪感を覚える私だが(偏見です。すいませんw)、妙に共感してしまった。
(この号に限らず、彼女の連載コラムはなかなか面白い。)

そして、この後、このコラムはこんな感じで続く。

“でも、止まっている者には、留まっているなりの、「覚悟」と「意志」がある。
先日、髪型を変えた。そんな些細な変化でも、気分がガラッと変わるものだ。
それで良いじゃない、と思える。”


「覚悟」と「意志」か。

私も、変わりなく留まっていることを、ただなんとなくではなく、こんな格好良い言葉で言える人間でありたい。

そしてそのためには、本当に平坦で何も無い毎日ではなく、やはり変化が必要なのだ。



余談だが、これを書き進めるうちに、カットモデルに誘われていたのを思い出したw
返事しなきゃな。
せっかくだから長さ変えなくても良いなら受けようかな。
スッキリするかもしれないし。

2011年1月28日金曜日

たまご達が運んでくるもの。

1月中旬あたりから、薬学部の5年生が実務実習に来ている。

我が職場は1年を通じて研修生や研修扱いの職員の出入りがなかなか激しい。
薬剤師会にとっても、会社の人事の人間にとっても、受付処方箋枚数が毎月3000枚超(区内断トツ1位らしい…)でなおかつ処方内容が多岐に渡る薬局は目に付く存在なのだろう。

今年度は、
4月頭~ 研修社員2名(1名は3週間、1名は5ヶ月間)
5月頭~ 研修社員2名(3週間)
5月中旬~ 実務実習生1名(10週間)
11月頭~ 医療事務研修社員1名(4週間)
1月中旬~ 実務実習生1名(10週間)
2月頭~ 医療事務専門学校生1名(4週間)
以上の研修日程が組まれた。

薬学部1・2年生の早期体験実習など、1日限りの実習を入れれば更に沢山の学生が出入りしている。
今は今年度第3期の実務実習生を受け入れながら、既に来年度第1期の実習生の受け入れ調整をしているところだ。

そんな実務実習生。
実習が第3週に入り(全10週強)、実際に患者さんを前に服薬指導をするようになった。

第3期ということで、先に病院実習をこなしている彼女。
第1期に受け入れた学生と比べると少しは慣れている様子。

だけれど、やっぱり明らかに見て取れる緊張感。
初々しい。

早めに朝やってきて、外用ステロイド剤や抗生剤、降圧剤などの詳しい分類を商品名と照らし合わせたりして毎日一生懸命だ。

患者さんの反応に対して上手く切り返せない。
助けを求めるような視線が来る。

よほどおかしな質問が来たときには助け舟を出すが、殆どの場合は笑って頷いてみせる。
大丈夫、と。
今のところ、彼女に投薬させるときは、性格的にも穏やかで薬もクセの無いものばかりの人を選んでいるからだ。

そんな彼女も、あと数週もすればきっと表情が和らいでくる。


1年間でこれだけの人数をこれだけの日数をかけて、レギュラースタッフ6名で育てるのは結構な負担がかかる。
それでも、なんだかんだ言いながら、楽しんでいる自分がいる。
そういえば、昔から部活でも後輩に教えるのは好きだったな。
なにかしら、自分に返ってくるものもあるし。勉強になる。

認定実務実習指導薬剤師(実務実習の育成主任のようなもの。)の資格を取るのには、実務5年以上が必要だ。
ワークショップ受講申請の時期を考慮すると、私は最低でもあと丸2年は取れない資格である。
その時にはまた色々と情勢が変わっているかもしれない。
けれど、今年度1年でとても興味の湧いた資格のうちの1つ。

そう思えただけでも、実習生や研修社員を受け入れた価値があると思う。
あとは、それを自分でどう広げていくか。

…まぁそれが難しいんだけどw
ぐるぐるでも、もやもやでも、良いから考え続けようと思う。

2011年1月8日土曜日

虚無。

一周忌。
2010年は友人の信じ難い知らせで幕を開けた。
友人とはいっても数回しか会ったことはないのだが、それにしたって哀しかったし、虚しかった。

そして、2011年。
今年は友人から流産したという、これまた信じ難い知らせが入った。


…もう何をどうしろというのだ。

どうして。
どうしてどうして。

どうして。


ただただ、その言葉だけが頭の中を駆け巡る。



彼女はまっさらな自分に戻るために、来週から精神科に入院する。
それが自分にとって、彼にとって、一番良いと判断したそうだ。

彼女の生い立ち、性格…
時々、相談を受けていて色々と知っているが故、心配で仕方がない。

でも、彼女は笑顔で皆に会う準備をこれからする。

私がすべきことは、そんな彼女を笑顔で迎える準備だ。

2011年1月1日土曜日

あけましておめでとうございます。

明けましたね、2011年。


年始早々、ラルクのカウントアップライヴを最初と最後だけ観て(途中は初詣行ってた)、5月のライヴ情報発表聞いて、やっぱりテンション上がり気味な私ですが。

でもね、あくまでもラルクのお話なわけです。

ファンはファンです。それは否定しない。
けど、私にはもっと身近に、目の前に、大切にしたいもの、しなければならないものが沢山ある。
そう思うんです。

FCにも一応入ってますが、webとかでとにかくhyde、hyde言ってたりする人達のことは、実は昔から苦手だし、自分とは違う世界の人達だと思ってます。

そのあたり、周りの人達になかなか上手く伝わらないのだけれど、私の中ではずっと前からハッキリしていることです。


んで、2011年。
2011年は、そういった大切なもの達を、当たり前のように大切にできる人になりたい。
そう思います。

恋人にしろ、友人にしろ、仕事にしろ。

常にきちんと向き合っていたい。
素直でいたい。
貪欲でいたい。

単純なことだけれど、単純なことほど難しかったりする。

でも粘り強く、根気良く、地道だけれど着実に、進みたい。
それが私の思う、自分の持ち味だから。


とりあえず、明々後日、2011年初出勤。
薬剤師5年目を迎える今年は馴れ合いから生まれる自分への甘さを捨て去って、さらには新しいことにも手を伸ばしたい。


2011年、振り返った時に、“頑張ったな”と思える年になるように。
日々精進、日々前進。


そんなわけで、また1年、よろしくお願いいたします(*´∀`*)