8月だ。
あれを読まなければ。
「永遠の0」。
そんなわけで、今年も読了。
実家に居た去年までは図書館が近くにあったので、ふらふら出向き読んでいた。
けど、今年は文庫本を遂に手に入れた。(ブックオフでだけどw)
それほど、何故だか読まなきゃならない衝動に駆られる作品。
中2から社会科を極端に嫌い(ありがちだけど、単に担当教師が大嫌いだっただけ。)、歴史をしっかり学んでこなかった私にとって、これだけ戦争に関して事細かに書かれている小説は有り難い存在である。
フィクションだから、何処までが本当で何処までが作り話かは分からない。
けれど、戦後生まれ育った自分にとって何かを知るキッカケになることは間違いない。
そして、この作品に魅了されているのにはもう1つ、個人的な理由がある。
物語の設定が、全く他人事ではないからだ。
初めて作品を読んだ時には設定を知らないまま読み始めたので、驚きを隠せなかった。
私の母方の祖父は戦死している。
勿論、会ったことなど無い。
母の記憶の中にも彼は存在しない。
後に祖母が再婚した義祖父を、小2の時に亡くすまで、私は彼を血の繋がった祖父だと思っていた。
そして私には弟がいる。
…重なりすぎでしょうw
違うことは、
祖母が今でも健在であること。逆に義祖父が亡くなっていること。
祖母と義祖父は母が成人してからの結婚であること。
姉弟の年齢が私たちよりは少し上であること。
大きいことではこのくらいか。
だからどうしても、この小説の中の姉弟を自分達に重ねて読んでしまう。
この小説を読むまでは、自分の中に色々とモヤモヤがあった。
母は当然ながら1人っ子で、祖母も義祖父も名古屋の人で、なのに一番付き合いのある母方の親戚は高知県にいる。ずっと昔から高知に住んでいる。
小さい頃から大人になっても、誰か高知出身なの?と友人によく聞かれた。
説明するのが煩わしかった。
特に小2まで“祖父”が存在していたことを知る者達には。
私の母はなかなかな晩婚なので、私の同世代で祖父が戦死している者に、まだ出会ったことは無い。
それも嫌だった。
芋ずる式に母の年齢が割り出されてしまう。
べつに高齢出産なのは構わないが、それを“凄いね~”などと言われるのが嫌だった。
小説の終盤、姉弟は輝き出す。
嬉しかった。
私は、何もかもどうでも良くなった。良い意味で。
祖父が戦死していることも、義祖父がいることも、母が高齢なことも、今では普通に話す。
こういう家庭もあるんだな、って自分達のことをきちんと捉えられるようになった。
この小説に感謝したい。
そして祖父を思う。
実は私の祖父はどう戦死したのか判明していない。
そればかりか、正確な戦死の報告は受けていない。
戻ってこなかったので戦死扱いになっている。
祖父も、何処かで東雲を見ただろうか。
日本を、美しいと思えていただろうか。
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