2011年3月26日土曜日

あっちゃん。

Everything is difficult, but everything is possible.


Jリーグ公式サイトを通して発表したTEAM AS ONE監督就任に対するピクシーのコメント。その最後に書かれていた一文。

…かっこいい。
特段捻りのある言葉でもないけど。
かっこいい。



タイトルはCoccoの愛称。
最近のファンはコッキーと呼ぶ人も多いみたいだけど、私には違和感が。
あっちゃんが良い。

で、昨日のMステ。
素晴らしかった。
私はそう思う。

特に興味の無い人にとっては、待機時間中ずっと俯いてて寝てるように見えた事のほうが面白かったみたいだけど。
そしてその映像がTVに映ったことで不快に思った人がいるのは当然だとも思うけれど。

彼女が、TVという、メディアに登場する。それも生放送で。

それだけで、長くファンである人達にはCoccoが物凄い覚悟を決めたんだと感じるだろう。


受け取る側には、結果として、不快な思いをさせたかもしれない。

でも、伝わったものも沢山沢山あったと思う。


沖縄の海を愛してやまない人。
その海が、沢山の人間の命を奪った。
思うに、彼女は自分が殺した、ってくらい背負っている気がする。

以前、原発のある青森県六ヶ所村も訪れている。
自分の愛する沖縄の基地問題と重ねて、深く語っていた。
何も出来ず、共存していくしかない、心の中で葛藤し続け、また大きなものを背負いこむ。

普通なら、そんなの仕方ないじゃん。って思いそうなことも、彼女は本当に自分の事として受け止めて、そして抱え込み、悩み続ける。

私が感じる彼女は、そんな人間だ。


苦手なTVに出てまでも、伝えたいことが、とてもとても大きな何かが、彼女の心にあったんだと思う。

血の気が引いていた。
身体が震えていた。
マイクを持つ手はもっと震えていた。

それでも、彼女は唄いきった。
全身全霊かけて。
それこそ、唄い終わったら倒れて死ぬんじゃないかってくらい。



私はね、またあなたに勇気をもらったよ。


Everything is difficult, but everything is possible.



追記。

翌日、Coccoのblogを読んでまた涙が溢れた。
彼女の選ぶ言葉って本当に素敵だ。
本気で語っているのがよく伝わる。
職業柄、言葉にはそうとうの気を遣うが、いつも自分の選んだ言葉で足りただろうかと不安になる。
足りることなんて無いのかもしれないけれど。

彼女には、言葉の選び方も教えてもらっている。

3/26付けの「from Cocco」是非読んでほしい。
今、TVなどで毎日見聞きする在り来たりな言葉とは明らかに違う、彼女の思いが詰まった、彼女自身の言葉で綴られた文。
http://www.cocco.co.jp/blog/

2011年3月21日月曜日

芯。真。心。

いろいろ考える。

震災。

津波。

放射能。

株価。

経済。

その中で生きる自分。

日本人としての自分。

薬剤師としての自分。


単純に1人の人間としての自分。



私は、やっぱり“良い人”でいたいのだろう。

壁をつくる。
そんな自分のせいで、自分にストレスが溜まる。
また行き場の無い思いが降り積もる。

浄化する術を見つけなくては。
その場では、かっこ悪くても良いじゃないと思える場をつくり出さねば。

今まで存在していたその場を大切にしていくのか、
新たにそうした場を掴み取りにいくのか。

どうしたら良いのか、今の私にはまだ分からない。


分からなくて良いんじゃないか。

そう思えた昨日の夜。

まだまだ26歳。

2011年3月13日日曜日

崩壊。

少しばかり突っ走りすぎた。

表面的にはまだ何も変化してないけれど、ここ2・3週間、気を張りすぎた。

相次ぐ常連患者との死別。
もともと精神病を持つ友人からの「これから人生終わらせに行く」との電話。(なんとか食い止めた。)
家探し。それに伴う母のグダグダな反論。
友人結婚式に向けて、大人数とのメールやりとり。
スポーツファーマシスト知識到達確認試験に向けての勉強。
部分院外処方だった精神科からの突然の完全院外処方連絡。
花粉症、風邪の全盛期。
そして東北関東大地震。

様々なことが精神的負担になっていた上に、勉強や作業などやらなければならないことが沢山あって日々の睡眠時間は多くて4時間程度。
睡眠命な私には少なすぎる。

そこに地震が。。。

新年会で“私、今仙台なんですよ~。遊びに来てくれたらいつでも泊めますよ♪”と言った、あの笑顔が脳裏を過ぎる。
高校・大学を通しての後輩で、大学時代は1年間ペアを組んでいた彼女。

年に一度、練習試合をしていた他大学のライバルの顔も過ぎる。
静岡在住の彼女の実家は宮城県名取市。

母の親友で家族ぐるみで交流のある彼女も仙台市宮城野区在住。

そして、仙台・松島は昨年訪れていて、とてもとても大切な想い出の詰まった場所。

沢山の思いが重なり、目が冴えきり、3月11日は殆ど寝れなかった。

翌日、仕事を終えて帰宅し、ご飯を食べ終えたところで、緊張の糸が遂に切れた。
とにかく吐き続け、飲み物さえ口に出来ない。
他に全く症状が無いので、恐らく自律神経調節が利かなくなったのだと思う。

その証拠に、心を許せる人に話を聞いてもらったら、かなり楽になった。
その後、タガが外れたように12時間近く寝続けて(時々目覚ましたりしてたけど。)30時間ぶりくらいにご飯も食べれた。

3月9日のメールは本当に嬉しかった。
こんな時に彼が傍にいてくれたら、とやはり願ってしまう自分がいる。
情けない。。

またこんなことになる前に、もう少し自分自身と対話しながら暮らさねば。
がむしゃらに気張ることが、睡眠を削って頑張ることが、一概に良いこととは言えない。
人にはそれぞれのペースというものがある。

昔から私は睡眠を削ったりしてまで頑張るタイプではない。
短期集中型。
ただしその時の集中力はそうとう自信がある。

忘れていた。

少しだけ、あと少しだけ、自分を大切にしてあげよう。


たった今、仙台在住の後輩の無事が確認された。

私も色んなことに気付いて冷静さが戻った。

私は、もう、大丈夫。

けど、震災のことは引き続き心配でならない。
少しでも、少しでも、被害が食い留まりますように。

2011年3月7日月曜日

3月6日。Wヤマダに感謝。

なんとも表現し難い、素敵な1日でした。


清々しい気持ちで名鉄最寄駅に降り立ち、雨降りだったけど気分が良くて歩いて帰ることに。

さらに気分で近所のTSUTAYAに寄り道して装苑を購入。
ファッション誌買ったのなんて一体何年ぶりだろうか。


凝り固まっていた思考が解れ出す。



逃がさない。
逃げない。

2011年3月5日土曜日

明日は3月6日。

明日の大阪日帰り旅行。
これまたいつも通り、テキトーにしか計画していない。
とりあえず、臨月の友人を拝められればそれで良いw

けれど、3月6日はこれからのKEYになる日。

明日のプチお出かけを皮切りに、色々と動き出す。

有り難い事に、沢山の友人達に声をかけてもらっている。
仕事の日も、休みの日も、笑って過ごせるくらいには予定が埋まってきた。


心の中も良い流れが出来始めている。


今までは、変わりたいと願いながらも、変えたくない、変化を起こすことが怖い、という気持ちも確かに存在していた。
守りたい何かが存在していた。

けれど、今は、思いっきり変化を狙って行動しても良いと思う。
“自分”というものを、叩き割っても良いと思う。
むしろ、叩き割ってやりたい!ぶち壊してやる!…くらいな感じw

昨日、動き出すために必要な条件は揃った。

どこまでやれるかは分からない。
だからこそ、やれるだけやってやろうじゃん。


明日、3月6日は大切な日。

待ってろ、新生活。
待ってろ、新たな自分。