2011年3月13日日曜日

崩壊。

少しばかり突っ走りすぎた。

表面的にはまだ何も変化してないけれど、ここ2・3週間、気を張りすぎた。

相次ぐ常連患者との死別。
もともと精神病を持つ友人からの「これから人生終わらせに行く」との電話。(なんとか食い止めた。)
家探し。それに伴う母のグダグダな反論。
友人結婚式に向けて、大人数とのメールやりとり。
スポーツファーマシスト知識到達確認試験に向けての勉強。
部分院外処方だった精神科からの突然の完全院外処方連絡。
花粉症、風邪の全盛期。
そして東北関東大地震。

様々なことが精神的負担になっていた上に、勉強や作業などやらなければならないことが沢山あって日々の睡眠時間は多くて4時間程度。
睡眠命な私には少なすぎる。

そこに地震が。。。

新年会で“私、今仙台なんですよ~。遊びに来てくれたらいつでも泊めますよ♪”と言った、あの笑顔が脳裏を過ぎる。
高校・大学を通しての後輩で、大学時代は1年間ペアを組んでいた彼女。

年に一度、練習試合をしていた他大学のライバルの顔も過ぎる。
静岡在住の彼女の実家は宮城県名取市。

母の親友で家族ぐるみで交流のある彼女も仙台市宮城野区在住。

そして、仙台・松島は昨年訪れていて、とてもとても大切な想い出の詰まった場所。

沢山の思いが重なり、目が冴えきり、3月11日は殆ど寝れなかった。

翌日、仕事を終えて帰宅し、ご飯を食べ終えたところで、緊張の糸が遂に切れた。
とにかく吐き続け、飲み物さえ口に出来ない。
他に全く症状が無いので、恐らく自律神経調節が利かなくなったのだと思う。

その証拠に、心を許せる人に話を聞いてもらったら、かなり楽になった。
その後、タガが外れたように12時間近く寝続けて(時々目覚ましたりしてたけど。)30時間ぶりくらいにご飯も食べれた。

3月9日のメールは本当に嬉しかった。
こんな時に彼が傍にいてくれたら、とやはり願ってしまう自分がいる。
情けない。。

またこんなことになる前に、もう少し自分自身と対話しながら暮らさねば。
がむしゃらに気張ることが、睡眠を削って頑張ることが、一概に良いこととは言えない。
人にはそれぞれのペースというものがある。

昔から私は睡眠を削ったりしてまで頑張るタイプではない。
短期集中型。
ただしその時の集中力はそうとう自信がある。

忘れていた。

少しだけ、あと少しだけ、自分を大切にしてあげよう。


たった今、仙台在住の後輩の無事が確認された。

私も色んなことに気付いて冷静さが戻った。

私は、もう、大丈夫。

けど、震災のことは引き続き心配でならない。
少しでも、少しでも、被害が食い留まりますように。

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