2010年12月1日水曜日

人は強いものよ。そして儚いもの。

初めて、目の前(といっても数十メートルは離れていたけど。)で人間が意識を失って倒れ、そのまま回復しないという状況に出くわした。


先月の23日に行われた名古屋シティマラソンのボランティアをしていた時の事だ。


4km部門のランナーだった。

私は10km部門のゴール近くにスタンバイしていて、それは彼が倒れた競技場入り口にかなり近い場所だった。
10kmフィニッシュ後のランナーに関しての誘導や介抱を担当していた私は、本当は入り口付近を見ている必要は無かった。
だけど、何故か見ていたのだ、あの瞬間。

ハッキリ思い出すことが出来る。

普通に走っていたランナーが、ふにゃっと歪んで膝が崩れ、そのまま地面に叩きつけられた。
ドスンと音がした。
直後、入り口付近の人々の悲鳴。

その後の救護団や救急隊員の様子、救急車で運び出されて行く様子…
自分の持ち場での仕事をしながら、気になってチラチラ見ていた。



そのランナーが心臓麻痺で亡くなっていた事実を、
一昨日知った。


なんて儚いのだろう。

誰もがあの日、あの瞬間が、彼の最期になるなんて思っていなかったはずだ。
もちろん彼自身も。

どんな気持ちだろうか。

あの場所に駆け付けた奥さん。

彼の家族、親族。
彼の友人達。
その他彼を知る人達。

そして命を奪われた彼自身。

想像すると、訳の分からないごちゃっとした感情が溢れ返ってきて、涙に変わる。
居た堪れない。


こういうニュースが流れると必ず、「ブームに乗って安易に出場しすぎで事故が多発している」とか「正しいトレーニング方法を身につけなければ」とか、そんな類の話が出てくる。
けれど、私がいつも真っ先に感じるのは命の儚さだ。
命がなくなってしまえば、後から何を言っても、何も出来ない。何も。何一つ。


少し話は違うが、普段よく、ご高齢の患者さんに「私はあと死ぬだけだもの。先は短いのよ。」と言われる。
そんな時私は大抵、「それならば今を楽しまないと!」と返す。

生があれば、何だって出来る。なければ、何も出来ない。
そういうことなのだ。
自分の生を、有難く、大切に、思う瞬間だ。



ちなみに。
ランナーに駆け寄った救護団は呼吸と脈を確認した後、AEDを使おうとした。けれど作動しなかった。
AEDは心臓のリズムが安定している人には作動しないようにできている。
むやみに作動してしまうと、心房細動・心室細動といった不整脈を起こし、逆に命取りになる恐れがあるからだ。
つまり、その時点では彼の心臓は安定していたということになる。
救急隊員が行った心臓マッサージもリズムを確認しながら、といった感じに見えた。
病院に運ばれた後、彼に何があったのか私は全く知らない。
だけど、運ばれる前の様子がその様であっただけに、ことさら残念だ。

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