2012年11月11日日曜日

じれんま。

相変わらず、色々なところで、色々な人に、
何でもできる人だね。ハイスペックだね。
とか言われる。

全然意味が分からない。

…いや、分かることは分かるかな。

ただそれは真の私ではないわけで。


相変わらず、他人に隙を見せるのが苦手だ。
本当は力抜きたい。ふにゃーってしたいw


だけど、周りがそう言えば言うほどに、私はまた取り繕う。
面倒な性格だ。


原因はどうしようもないほどの負けず嫌いにあると思う。
そして‘負けない’ために頑張ってる姿を見せるのも大嫌い。
…結果、なんか天才肌がいる、という印象になるようだ。

あぁ、面倒。


なんで皆そんなにのほほんと力抜いて生きられるのか。
一瞬一瞬が惜しくて、興味あることにあれこれ突っ込んでいってしまう。
心の余裕が欲しいと思いながらも、自ら無くす方向に進んでる。


最近、10年以上前にほんの少しだけお付き合いした元彼と仲良くなった。もちろん友人として。
話してて、意外とあなた私のこと知ってるのねって思うw
そんな彼に言われた言葉。
その顔で、その格好で、その趣味の広さで、おまけに薬剤師って言われたら、
こっちはどんなスペック備えて挑んだら分かんねーよ、って思われるよ?
…やっぱそう見えるんだなぁ。


深呼吸しよう。

2012年9月30日日曜日

感動の種類。

台風がなかなかに酷いので、珍しく引き篭り。
ずっと放置していたブログなんぞ開いてみたり。

書きたいことは沢山あったのですが、その時々でtwitterやらなんやらで吐き出してしまっていて。
今年度に入ってからは仕事が忙しくなったのもあって、瞬間的な書き込みで終わるそちらに依存気味です。
でも、本当はしっかり時間を取って、きちんと振り返りたいんよね。
時間の使い方がいつまで経っても下手くそな自分が憎いw


周りの結婚ラッシュで時間とお金を吸い取られw、加えて仕事も慌しくなり、
それでも負けじとライヴには行ってたり。
寧ろ、年間本数的には過去最多ですわ。

L'関連が沢山動いてるのは勿論大きな理由の一つだけれど、それだけじゃなくて。
私にとってライヴに行く事は、色んな普段見れない世界を見て感じ取れる大切な事なのよね。

その影響を与えてくれるのは、アーティスト達だったり、私と同じ立場のオーディエンス達だったり、また、ライヴのために訪ねていったその土地の人達だったり。
色々なんだけど、やっぱりやっぱり、アーティスト達に大きく心動かされる。

それも、色んな形があって。

例えば、
L'Arcならその世界観…圧倒的なアーティスティックぶりに感動するんだけど、でも何故か笑いもあって、それでも最後にはメイクが落ちるほど号泣したり。
なんだか別世界の人達なんだけど、寄り添ってくれるような気がしたり。
不思議な人達。
洋楽…私が行くのはたいていUKだけど。彼らに関してはもう存在が異世界。
音も、演出も、MCも、私の知らないものを見せてくれるから、とても惹きこまれる。

そして、私が大好きなアーティストの中でもトップを争う2人が、あまりに対極で我ながら面白いと思う。

yukihiroとAnis。

yukihiroのソロプロジェクトであるacid androidは、よほどじゃない限り、MCは全く無い。全く。
ひたすらに、音の波を叩きつけてくる。
ギター2本だからこそ成せる恐ろしいほどの音圧と常にシャウトのようなイカれたヴォーカル。
説明することなんて何もねーよ。感じ取れ。と言わんばかり。
その徹底ぶりを目の前に必死で感じ取ろうとするんだけど、ちょっと油断するとただただクールでスマートなその佇まいに圧倒されて呆然と立ち尽くしてしまいそうな。
あぁ、本当にカッコいい。(脳内再生したw)

一方で、Anis。メインは曲じゃなくてトークでしたか?と聞きたくなるほど、喋る喋る喋るw
大半はしょーもないこと話してるんだけど、急に心に突き刺さってくるような話をし出したりするから、面白い。真面目な話ばっかりでも、くだらない話ばっかりでも、駄目だと思うんだけど、彼のすごいところは天然でそのバランスを上手く取ってるところかも。あざとさとか、そういうものが一切無い。
一般的な日本人から見たら、有り得ないほどの自由人に見えるんだろうけど、だからこそ信じられないほどの苦労もしてるんだと思う。
MCにそういう体験が滲み出てくること、しばしば。
肝心の唄も、私が世界一好きなヴォーカル、って断言してるくらい素敵。
だからか、ソロでは音源全然無いのに、時々関係者席がとても豪華よねw


yukihiroさんのライヴに行くと、今日のアレンジがどうのとか、衣装がどうのとか、そういうことは言えるんだけど…。
言葉にならない何かを感じ取って帰ってくるから、その受け取った大きな何かをこういう場で表現するのってすごくすごく難しい。脳内はフル回転してるのにね。

逆にAnisの場合は、勿論唄にも感動して、夢心地で帰ってくるんだけど。
MCで伝えてもらった大切な言葉達を忘れたくなくて、無性にtwitterとかに書き込みたくなる。ブログも書きたくなる。

こないだは、
とりあえず、やっちまえよ。死なないから。
って話をずっとしてたなぁ。
Anisだからできるんだとか、Anisだから住めるんだとか、Anisだから協力してもらえるんだとか、色々言われるけど、何その‘Anisだから’って。って。

正直、ちっぽけな私は、やっぱりそう言われても‘Anisだから’だよ、って思っちゃう部分もあるけれど、うん、でもそうだよなぁ。

やりたいこと、沢山やりたい。
若さが必要なことだって、絶対にあるから。
自分の人生の中で、今この瞬間より若い時はもう無いから。
逃さないようにしないとね。

って、言ってると、だからやっぱライヴ行く~!!!ってなっちゃうんだよね私はw
本当にいつもいつも感動をありがとう。


フルマラソン完走と富士山登頂は間違いなく達成したいな。

2012年1月21日土曜日

不器用ですがなにか?

あまりに久々すぎる更新w
あ、あけましておめでとうございます。生きてます。どうも。


ところで、話題になってますね、芥川賞。
恥ずかしながら、都知事の発言云々からの流れをイマイチ詳しく把握してないのでなんとも言えないのだけど。

まぁこの作家さんに偏屈要素があるのは明らかだよねw

…そして私こういう人結構好きですわwwwww

表向き良い顔して裏でグチグチ言うよりずっと良いじゃんw
自分の偏屈要素を隠さずそのまま表に出せるなんて素敵じゃんw
ま、それが記者会見の場ってのがなんとも…って話だけど。


年末に迷った挙句、yukihiroさんのbeautiful daysなるものを購入しました。
なんていうか、完全限定生産って言葉に負けたよねw
…にしてもたけぇーんだよゆきーろさん!!!

で、最初のうちはphotoの方に目を通して素敵素敵騒いでたのだけどw
今ではtextの方が愛読書並みになってます。

彼の考え方も前述の作家さんに共通するものがあるよね。

一見すると偏屈だし扱いにくいし挙句キレるしw
プロデューサーに関わりたくなくてガン無視で小説読んでたとかw
しかもその小説逆さに持ってたとか…wwwww
ハンパねーわ、ゆきーろさん!

でも、読めば読むほど、考えれば考えるほど、当時の彼はその拘りの強さと才能とが空回りし続けて上手く自分を表現する場を見つけられず、周りに認めてもらえず、人間不信になり、閉じこもるからさらに拘りが強くなる…の無限ループの中にいたんだなって思う。

自分を曲げられない、人に合わせられない、素直すぎる不器用な彼が、きちんと自分の居場所を見つけられて本当に良かったなと心から思う。

途中加入なのに普段から彼の発言の端々にラルクへの愛が感じられるのは、そういうことだったのかと、一通りこのお高い本を読んで納得。


そしてなんか色々と感動しすぎて母に向かって語っていたら(正月休みに実家で読んでた)、呆れずに聞いていてくれた母が一言。

“でもさ、そういう人、ちゃんと分かり合えたら絶対可愛いよね”

…オイw
67歳のおばさんが言う言葉か!27歳の娘がいる母が言う言葉か!!

つまり、あれだ。
世間一般的に結婚向きだと言われそうな男を好きになれないのは母譲りか。

こちらも妙に納得納得。

2011年11月8日火曜日

Thanx.

11月7日。
それは忘れられない日。

L'Arcファンが毎年黙祷を捧げる日。

もう2年も経つんですね。



調度先週、彼らのライヴに2日連続で行ってきたとこだから、
余計に11月7日という日が響く。

彼らのステージは相変わらず隅々まで凝りに凝っていて素晴らしかった。
本当にミュージシャンの枠を越えてアーティストだなとつくづく思う。


そんな留まることを知らない彼らを、どんな風に眺めているのだろう。
やっぱり、俺ならあーするのにーとか、あれは凄いなとか、思いながら観てるのかな。


今のL'Arcは、本当に皆楽しそうで無邪気で、観てるとこっちも勝手に笑顔になる。

出来ることならば、彼にも一緒に笑っていて欲しかった。

けれど、それが叶わない今、
私達は彼らを愛し続ける、応援し続ける、それが彼への敬愛を示す術だと信じて。


本当に彼あっての今のL'Arcですから。
彼がいなかったら、出会ってなかったら、彼らはあんなステージ創り上げられなかったと思う。

ありがとう、コメットさん。

2011年8月21日日曜日

東雲。

8月だ。

あれを読まなければ。


「永遠の0」。





そんなわけで、今年も読了。

実家に居た去年までは図書館が近くにあったので、ふらふら出向き読んでいた。
けど、今年は文庫本を遂に手に入れた。(ブックオフでだけどw)
それほど、何故だか読まなきゃならない衝動に駆られる作品。

中2から社会科を極端に嫌い(ありがちだけど、単に担当教師が大嫌いだっただけ。)、歴史をしっかり学んでこなかった私にとって、これだけ戦争に関して事細かに書かれている小説は有り難い存在である。
フィクションだから、何処までが本当で何処までが作り話かは分からない。
けれど、戦後生まれ育った自分にとって何かを知るキッカケになることは間違いない。


そして、この作品に魅了されているのにはもう1つ、個人的な理由がある。


物語の設定が、全く他人事ではないからだ。


初めて作品を読んだ時には設定を知らないまま読み始めたので、驚きを隠せなかった。



私の母方の祖父は戦死している。

勿論、会ったことなど無い。
母の記憶の中にも彼は存在しない。

後に祖母が再婚した義祖父を、小2の時に亡くすまで、私は彼を血の繋がった祖父だと思っていた。

そして私には弟がいる。



…重なりすぎでしょうw


違うことは、
祖母が今でも健在であること。逆に義祖父が亡くなっていること。
祖母と義祖父は母が成人してからの結婚であること。
姉弟の年齢が私たちよりは少し上であること。
大きいことではこのくらいか。

だからどうしても、この小説の中の姉弟を自分達に重ねて読んでしまう。


この小説を読むまでは、自分の中に色々とモヤモヤがあった。

母は当然ながら1人っ子で、祖母も義祖父も名古屋の人で、なのに一番付き合いのある母方の親戚は高知県にいる。ずっと昔から高知に住んでいる。

小さい頃から大人になっても、誰か高知出身なの?と友人によく聞かれた。

説明するのが煩わしかった。
特に小2まで“祖父”が存在していたことを知る者達には。

私の母はなかなかな晩婚なので、私の同世代で祖父が戦死している者に、まだ出会ったことは無い。
それも嫌だった。
芋ずる式に母の年齢が割り出されてしまう。
べつに高齢出産なのは構わないが、それを“凄いね~”などと言われるのが嫌だった。



小説の終盤、姉弟は輝き出す。

嬉しかった。

私は、何もかもどうでも良くなった。良い意味で。

祖父が戦死していることも、義祖父がいることも、母が高齢なことも、今では普通に話す。
こういう家庭もあるんだな、って自分達のことをきちんと捉えられるようになった。


この小説に感謝したい。


そして祖父を思う。

実は私の祖父はどう戦死したのか判明していない。
そればかりか、正確な戦死の報告は受けていない。
戻ってこなかったので戦死扱いになっている。


祖父も、何処かで東雲を見ただろうか。

日本を、美しいと思えていただろうか。

2011年5月3日火曜日

美味しかったよ。

近所のスーパーに買出しに行く。

生鮮食品売り場。

理由も書かれず大幅に値下げ(50%以上)されている物がある。
よく見ると、産地のところに“商品に表示あり”と書かれている。

まぁ、ここまででだいたい感づく。

が、商品を手にとってみても表示が見つからない。

裏返してみる。

パッと見、見つからない。


隅のほうに。
とてもとても遠慮がちな小さなシール。


“茨城県産”の文字。



ふと、顔を上げると、“頑張ろう日本”と書かれた大きなポップ。


無性に腹が立つ。

一体どれ程の気持ちが籠ったポップなんだろうか。
気持ちが微塵も伝わってこない。

安くしてるので是非買ってください、っていう売り方ならまだ分かる。

でもよくよく見ないと値下げ理由が分からない。
産地を表記したシールの貼った面を見事に底にして並べてある。
それも小さな小さな文字が書かれた小さな小さなシール。

明らかに、バレたら売れない、何とか隠して売ろう、という姿勢が見える。


けれど、本当にそうでもしないと売れないのかもしれない。
スーパーだって商売だ。
なんとしてでも売りたい気持ちは分からなくもない。


そんな今の世の中を思うと、今度は言いようのない哀しみが込み上げてくる。


曖昧な対応。ハッキリしない基準値。
不安を煽る報道。

あと少しだけでも、明確になれば。

そう思うけれど、考えてみると難しい。

レントゲンやらCTやらと比較しても、それらは24時間365日続くものではない。
前例がなければ、どんなに考えてもそれは机上のことでしかない。
リスクを研究するにしても、コホートもケースコントロールも難しいだろう。


ぶつけようの無い怒りと、やりきれない哀しさと、
くちゃくちゃな思いが混ざり合い、
その可哀相な白菜を、私は買ってきて食べた。

2011年4月17日日曜日

喜。

嬉し事。

ある日の事。いつも通り患者さんの名前を呼ぶ。
すると本人以外に反応する患者さんが。友人らしい。
私の目の前でお喋りを始めるオッサン2人組w

患者②「元気~?元気じゃねーか、こんなトコおるんだもんなぁ」
患者①「元気だよー。俺風邪とかじゃねーもん。皮膚科~。」
②「なんだー。さては美人薬剤師に相手してもらいに来たな?」
①「何言ってんだよー。俺はいつもコイツに虐められてんだよ!怖いからこの名前(私の本名)は覚えとけよ~。」
②「マジか。覚えとくわ!要注意要注意。」
私「ちょっと①さん!!そんな事は言いふらさなくて良いの。」
①「あ、そっか。秘密だったか。ごめんごめん。じゃ、秘密ってことでw」
私「そそそwてか、私だって値良かったら褒めますよ!」(いつもは皮膚科じゃない。)
①「そーだよなー世話になります…」

…こんな和やかな会話が繰り広げられると幸せな気分になる。

地域医療、地域医療っていうけど、私は薬局こそ地域医療の極みだと思う。
病院でももちろん可能だと思う。
でも病院薬剤師が関与する患者は主に入院患者である。外来が院外処方ならなおさら。
入院というのは、それが必要だからこそそうなるのであるが、患者の普段の生活を取り上げて治療するものである。
それに比べ、調剤薬局薬剤師は関与が浅いと思われがちだけれど、患者の普段の生活を見ることが出来る。
普段の生活の中でどう改善していくべきか考える、それこそが最も必要なものだと私は思う。
入院して一時的に治っても、元の生活に問題があるのならば、それは意味を持たない。

そういった意味で患者の「普段」「普通」に関与したいので、患者がラフに話しかけてくれたり、冗談を言ってくれたりするのが何よりも嬉しいのだ。

そして会話から広がる無限の世界。

今日も仕事をしていて楽しみを感じる。
そして勉強すべきことがまだまだ沢山あると感じる。